白川郷 = 岐阜県大野郡白川村、 岐阜県高山市荘川町(旧荘川村)

1 白川郷の 文化 Culture of shirakawa-go

白川郷の古道、歩危道、籠の渡しなど

小画質8の2万5千歩危峠谷古道線付

画像はカシミール3D、国土地理院発行数値地図25000地図画像及び、数値地図50mメッシュ標高を使用

白川郷の古道と一般道と江戸時代の道

1、白川郷の古道
「加須良集落~蓮如峠~横谷峠~馬狩谷沿い~卒塔婆峠~鳩谷集落まで」の道がありました。
この道は、加須良集落から越中(富山県)・加賀(石川県)へ抜ける道でした。
1469~1486年(文明年間)蓮如上人が白川郷加須良集落を訪れ、蓮受寺に休泊されたという言い伝えから
この「加須良集落~蓮如峠~横谷峠」へ通じる道が古くからあったことが分かります。

2、白川郷の一般道(往来道)
「小白川集落~椿原集落南~馬狩谷沿い~卒塔婆峠~鳩谷集落まで」の道を通行していました。
物資運搬(歩荷ぼっか)は「小白川集落~椿原集落南まで庄川沿い」を、椿原集落南から西に入った道の、
「馬狩谷沿い~卒塔婆峠~鳩谷集落」まで物資を安全に運ぶルートを通行していたようです。


3、江戸時代の白川郷の道
「小白川集落~椿原集落~内ヶ戸集落~飯島字下田集落~飯島集落~鳩谷集落まで」の道でした。
江戸時代になると、白川郷の街道が整備され、小白川集落~鳩谷集落まで「庄川沿い」を通行できる
ようになりました。ですが途中、難所である「内ヶ戸歩危」、「下田歩危」と庄川沿いを通行するには、
危険な場所であったため物資運搬は、椿原集落南から西に入った道の「馬狩谷沿い~卒塔婆峠~
鳩谷集落」まで安全に物資を運ぶルートを通行していたようです。

白川郷の銀山豆知識

「横谷銀山」
1760年(宝暦10年)、飯島集落から西の横谷という谷に「横谷銀山」(飯島地区)があったんだって。

「尾神銀山」
1748~1750年(寛延年間)頃、白川村尾神集落から西に4.6kmの標高1734mの山頂近くに「尾神銀山」
があったんだって。
「銀山」と記した古地図は、「飛騨国全図」天保3年(1832)中洲美郷(岐阜県立図書館所蔵)に描いてあるよ。
「御神(尾神)銀山」は、岐阜県関係5万分1地形図、明治43年測図大正2年製版「白山」(岐阜県立図書館所蔵)の
地形図中に記してあるよ。

加須良集落について

秘境といえば、白川郷の北海道といわれた「加須良集落」です。山々に囲まれた全くの別天地でした。
「加須良集落から加須良川沿いを下って椿原北まで通じる道」(距離約6km)は、近代の道で昔はありませんでした。

白川郷の加須良集落の道

昔は、1.加須良~小白川の山道(約6km)と、
2.加須良~蓮如峠~横谷峠~馬狩谷沿い~卒塔婆峠~鳩谷までの道(約13km)と、
3.加須良~越中桂集落~境川沿いを下り~小白川までの道(約14km)しかありませんでした。

歩く速度と距離は平坦道、山道とありますが、時速4km/h(一里)として、3.加須良~蓮如峠~横谷峠~馬狩谷~
卒塔婆峠~鳩谷(約13km)まで、約3時間15分となります。もう少し時間を要したのではないでしょうか。

実際に歩いた人の話では「夜明け前に家を出発して」と、よく聞きます。

加須良集落の道豆知識

「加須良集落~蓮如峠~横谷峠」へ通じる道は、岐阜県関係5万分1地形図、明治43年測図大正2年製版
「白川村」(岐阜県立図書館所蔵)の地形図中に記してあるよ。

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